御詠歌「ちちははの 恵みも深き 粉河寺 仏のちかひ たのもしの身や」
両親(父母)は、わが子ほどかわいいものはありません。同じように、粉河寺の観音さまは、信心深き人々をわが子の如く愛し、万一不時災難に遭おうとも、代わってそれらの苦をお受けになるとお誓いされているから、頼もしい身の上ですよと解することができる。
粉河寺は、和歌山県の北部を流れる紀ノ川の北岸にあり、 最寄駅JR和歌山線粉河駅から大門まで門前町を形成し、約800mの道程です。
出典:西国三十三所札所会ホームページ
宗派 | 粉河観音宗総本山 |
開基 | 大伴孔子古 |
御本尊 | 千手千眼観世音菩薩 |
創建 | 宝亀元年(770年) |
散華 | 力 |
住所 | 〒649-6531 和歌山県紀の川市粉河2787 |
札所データ
宝亀元年(770年)、大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び、千手観世音菩薩を本尊として、粉河寺は創建されました。 鎌倉時代には、七堂伽藍が整い、隆盛をきわめましたが、豊臣秀吉が天下統一の望みを達成するため、紀州攻めを敢行した天正13年(1585年)、開創以来最も受難の年を迎えます。約10km西にある新義真言宗の総本山である根来寺を中心に、一帯は火の海と化し、粉河寺も全山焼失しました。
したがって、現在の諸堂の数は大小20より少し多いですが、いずれも江戸時代の再建です。その中でも、江戸中期の代表的な寺院建築物であり、西国三十三所の中では最も大きい本堂をはじめ、千手堂・大門・中門の4棟は重要文化財に指定されています。
また、本堂前の左右に築造された粉河寺庭園は、桃山時代の枯山水の庭園で、上田宗箇の作庭と伝えられており、名勝に指定されています。 草創のゆかりとなっている粉河寺縁起絵巻(国宝)を有する粉河寺は、壮大な寺観がもたらす歴史の重味とともに、観音信仰の寺として、いつまでも参詣の人々に安らぎを与え続けることでしょう。