第1番札所「那智山 青岸渡寺」

御詠歌「ふだらくや 岸うつ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝つせ」

「ふだらく」とは観音様がお住いの最高の場所で、浜辺に打ち寄せる波とたくさんの参拝で、「三熊野の」は那智、新宮、本宮での賑わいであります。那智の大滝のひびく音と参拝者のお経の声が那智のお山に響き渡っているとの意です。

那智山は熊野三山の一つです。熊野信仰の霊場として長い歴史があります。もともと、那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離しました。今も寺と神社は隣接していて、双方を参拝する方々が多いそうです。
出典:西国三十三所札所会ホームページ

宗派天台宗
開基裸形上人
御本尊如意輪観世音菩薩
創建仁徳天皇御代(313~399年)
散華
住所〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地

札所データ

那智山の縁起によると、開基は仁徳天皇の頃(4世紀)であり、印度天竺の僧、裸形上人が那智大滝において修行を積み、その暁に滝壷で24cmの観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。その200年後の推古天皇の頃、大和の生佛上人が来山し、一丈(3m)の如意輪観世音を彫み、裸形上人が感得した24cmの観音菩薩を胸佛に納め、勅願所として正式に本堂が建立されました。

平安朝中期から鎌倉時代には、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰がさかんになり、この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され、那智山を一番にして、近畿各地の三十三観音を巡拝されたことから、西国第1番札所となりました。

現在の本堂は、織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590年)豊臣秀吉によって再建されました。桃山時代の建築をとどめ、南紀唯一の古い国指定の重要文化財建造物であり、本堂の高さは18mと、大滝の落口の高さと同じであるといわれています。

青岸渡寺尊勝院は、中世以降は天皇、皇族の熊野詣での宿泊所にあてられていました。同院の入口にある唐破風の四脚門は、不開門として有名です。なお、大正7年(1918年)に、那智の滝参道口・沽池と呼ばれるところから発掘された、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る貴重な那智経塚出土品のうち、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が国指定の重要文化財になっています。境内からは那智の滝、那智原始林、太平洋の眺めもよく、南北朝時代の重要文化財・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘があります。